スペイン巡礼

オ・セブレイロ峠

オ・セブレイロ峠

オ・セブレイロ峠は、難なく踏破。あっけないぐらいです。前日はルートが三本有って、この日のトレーニングも兼ねて、山道を選びました。最初の直登はちょっとゼイコラしましたが、後は、長閑な稜線のトレッキング。足底痛は続きますが、両方の豆も大したこともなく、歩くことにやっと慣れてきた様です。そんなに早く着いたら、後の日程調整に支障が…、などという余裕も出るほどです。明日は、一気に峠を下って、360キロ。思えば、随分来たもんだ。サンチャゴに向かって進みます。誰と比べるわけでも無いけれど、これ迄の人生を振り返ってみれば、なんの因果か、よくよく走ったり、歩いたり、するのが好きだったようです。幼い頃はそうでもなかったでしょうが、中学生になると、陸上部に入って走っておりました。高校も走っておりました。大学では山に狂って、日本の山を走り回りました。なんたることか、坊さんになってしまって、前述の東海道750キロの道場入門行脚旅となりました。何年か後、埼玉から神戸までUターンの行脚旅、この時は、埼玉、高尾山、山梨、甲府、瑞浪、岐阜、大垣、大津、生駒山を超えて、大阪松原、西宮、神戸まで、一ヶ月以上かかった長い旅でした。ネパールの山々も走り回りました。韋駄天の無一と自分で命名しました。ヨーロッパのトレッキング連中から、クレイジー、ジャップと笑われました。楽しかったですね。無我夢中で走っていたのです。何かに追われている様な、そんな気もあったのかもしれません。一昨年は、最初の挑戦から20年、三度目の正直で念願のガンジス川源流、ガンゴトリ、ゴームクの地を踏むことも出来ました。高山病で夢遊病者のようでした。この旅も決して楽な旅ではありませんが、お陰様で先行きの不安が薄れたきたようです。背中がバリバリで、何かに捕まらないと、立ったり座ったりが出来なくなり、寝返りするのに、唸っておりました。足の治療は、自分で、鍼治療して何とかしておりますが、背中ばかりは何ともなりません。
 オ・セブレイロ峠越え二日前、泊まったアルベルゲの受け付けに指圧治療とあります。この治療と薬局で買った消炎剤が、嘘のように背中の痛みを無くしました。この治療の詳細は後日また。
 『歩けば何とかなる。歩けば分かる。』これが私の人生哲学となりました。黙ってそうし向かせた、得度(剃髪していただいた)和尚、神戸、六甲、祥龍寺、菅 宗信和尚には感謝しても感謝しきれぬ思いがこの瞬間にも沸々と煮たぎるように湧き上がります。今、この歩く原点、カミーノ・ デ ・サンチャゴの真っ只中にあって、誠、思いもひとしおです。

 

人生の味

人生の味

サンチャゴ巡礼の特徴は、何と言っても若ものが圧倒的に多いと言うことです。巡礼中にミサに預かりますが、此処、カトリックが国教の国でも、若者は殆ど見ません。20年ぐらい前に、イギリスに行った時も似たような現象でした。それから考察すると、このサンチャゴ巡礼は、若者にとっては、レクレーション的要素がかなり強いと思われます。何はさておき、若者が多いことは 、素敵なことです。四国巡礼との圧倒的違いです。そんな訳で、ピチピチギャルがそれらしい様相でかっぽするので、目移りして困ることもありますが、そうではありませんぞ。村の巡礼道には必ずこの写真の様な老人が、巡礼者を見送ってくれます。おばあさん、幾つ?と尋ねても、むちょむちょ(mucho mucho)-沢山という意味-と言うばかりです。写真を撮って、お礼言っての別れ際、ポツリと小さい声で、のべんたいおちょ(98歳)と、教えてくれました。Viva おばあちゃん。
人生の味やね。

 

町や村を駆け抜ける。

町や村を駆け抜ける。

この町が、何処であったか、何という名であったか忘れてしまいました。朝の出発は、だいたい、日の出前、1時間ぐらいです。小さな村などですと、直ぐに懐中電灯の使用ですが、この町は暫く此の様な街並みが続きました。異国の町を忍んで通り過ぎてゆく一寸いい時間です。ここの日の出は8時ごろ、従って、出発は、6時30分から7時の間です。レオンを過ぎてからは、馬鹿に遅いと思っていた歩行速度は平均を保つ様になり、一日のコースを負担なくこなせるようになりました。今日は巡礼始まって以来の雨中巡礼です。降ったり止んだり、オ・セブレイロ峠特有の一定しない強風が、後ろから前からと攻めます。カラリと止んだと安心していると、殴り雨の塊の様な帯状の雨が山の背から谷合を走り抜けて行くのです。妙心寺法堂の睨み龍が、点検に来たかと、ギョッとしました。

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