和尚のつぶやき

巡礼  ご挨拶

ご挨拶

 

気持のよい気候となりました。皆様いかがお過ごしでしょうか?

保寧寺の庭は今最高の新緑のなかにあって、毎朝の目覚めは、箱根か京都の高級旅館にいるような、そんな気分ですが、現実はそんな生易しいものではなく、めったやたらに生えまくる雑草との格闘の毎日です。「この野郎、この野郎」とつぶやきながら殺生を繰り返していますが、さすがは雑草、そんなことではへこたれません。雑草の雑草たる所以か、益々力を得て、「馬鹿めえ」という声でも聞こえそうな勢いで生えてきます。刈られる宿命を知っていて生き延びるすべを身に付けているような、ふてぶてしいというか、あっぱれなる代物です。

六月は日本にいません。スペインにいってきます。そうです。聖地巡礼の旅です。

なにせ80歳でしゃろ。歩いているのか、這っているのかというような状態の昨今です。

何処まで歩けるのか皆目見当もつかないのですが、兎に角、行ってまいります。旅の終わりはバルセロナからの出航です。

バルセロナのサクラダファミリア教会に献笛のお願いをしたら、なぜ仏教の僧がキリスト教の教会で献笛をするのか理由を述べよ、の返事がきました。理由書を送りましたがどの様な回答がくるか楽しみです。

実は、サクラダファミリア教会は何度も参拝している教会ですが何としても親しみを覚えない珍しい教会です。どこがどう良いのかさっぱり理解出来ないで今日に至っております。私が献笛を願うのはこの派手派手しい教会ではなく、この教会の裏に隠れるように有る半地下のひっそりした教会が私の希望しているお御堂なのです。旅の終わりの感謝と教会の諸聖人の為に祈りの献笛を、というのが主たる理由なのですが。

祈りの心に仏教もキリスト教もないのですが、いずれかの宗教セクトに属していると変に知らない間に教団意識が濃くなって、おおらかさが失われる昨今は、自戒をもこめて気を付けたいものです。

スペイン聖地巡礼800キロ、数ある大小さまざまの教会ではこのような煩わしはなく快く迎えてもらった経験ばかりの認識だったので「おや?」と思ったのですがそれぞれの立場の違いのあることも明白なので、心して待っています。良いお土産話が出来る様、奮闘努力して参ります。

無一 拝

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