和尚のつぶやき

若い巡礼者達

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覚える気がないのか、元々記憶力の喪失か、道行く人たちと、「buen camino」と平和の挨拶などして、自己紹介などするが、よほどの事でない限り、まず覚えない。最近、石原慎太郎が田中角栄を随分褒め上げているようだが、角栄さんは、人の名前を覚えて、タイムリーに使う天才であったとよく言われています。成功への要因の大きな一つの要素であったようです。私などは初めからそんな大それた事、微塵もないのですが、この記憶力のなさには、ただただ呆然とするばかりです。
本題に戻りますと、写真の中の黒い服の二人は、一人は中国人、もう一人は、台湾人です。ピルグリム巡礼の人種分けによりますと、少数派です。アジア人では、圧倒的に韓国人です。宗教的にカソリックの非常に強い国で、神父さんは高い尊敬を受けています。韓国の神父が日本に派遣され、奮起するのですが、ほとんどの神父が失望抱えたまま、他国へと移って行くようです。日本では神父の存在すら危ぶまれるような地区すらあるのですから。これも余談。
そんな訳で名前は出てきませんが、二人とも共通しているのは、気持ちのいい個性が巡礼の歩みの中に垣間見る事ができます。台湾の娘は,両親ともにカナダに住んでいて、彼女は今、栄養学を学んでいる学生です。足を病んで辛そうに歩いていました。それでも、二日間一緒に歩きました。アルベルグエ(宿泊所)を探して2キロ、3キロ、4キロとウロウロして宿を決めましたが、彼女は、この村にはマーケットがないからと言って足を引きずりながら次の村に行きました。巡礼者は基本的には、宿に着いて、マーケットで食料買って自分で作って食べて仕舞って、旅を続けるのが基本。圧倒的に安くつく。貧しく旅を続けるのも、巡礼の意味の深さかもしれない。別れ際に、ハグをしたら、折れそうなぐらい細くて、抱いた手に骨が触れるような娘でしたが、揺るぎのない意志力に脱帽。
もう一人の中国人の娘。はちきれるように元気に歩いていました。今は、スペイン、アンダルシアでスペイン語を学んでいるようです。無一和尚さん、無一和尚さんと馴染んでくれました。私たちが宿を決めて、一眠りの後、村の教会へ献笛の帰り、ひょっこり、ザックに登山靴をぶら下げて、真新しいシューズに履き替えてやってきました。此処に泊まるかと思いきや、次の村まで行くと言って別れました。握手をして、バイバイしましたが、これもまた私の小さな手の中にコロコロと遊びそうなぐらい小さな手でしたが、次の村に向かう姿は、足こそ引きずっていましたが、とても爽やかです。これから次の村までどのくらいあるのか知らないが、早く着いて、宿が決まりますように。
何日か前のアルベルゲでは、食事の前に私達の般若心経も祈りの中に取り入れられました。ビックリした人もいたようですが、感動組が圧倒的でした。アメリカの娘さんは、坊さんとわかると、早速、禅に関する質問です。スペインの神秘家、サン フアン デラ クルスの話しなどを混ぜながら説明してあげるといたく喜んでいました。いずれも、純に巡礼を遂行している若い人たちです。

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