今夜はクリスマスパーティ。集まる子供たちの都合も考えて、大体、十二月二十二日頃となります。二十二日は冬至もしくは、冬至当夜となります。
クリスマスパーティに集まる人は、当初、「なんでお寺でクリスマスですか?」と楽しみながらも、この質問です。「宗教は問わず、偉い人はみんなお祝いされるのです」と答えています。
その昔、キリスト教流布以前のローマ帝国にあっては、「ミトラス教」という宗教が流行っており、此の宗教は、「光の祭り」という性格を持っており、その日は十二月二十五日、これから光の時間が増えていくという「冬至」の日です。
他方、「農作物の繁栄を祭る祭り」もこの日、伝統的に行われておこなわれており、ミトラス信仰の範疇でありましたが、キリスト教が国教となると他宗のかかわる行事は一切駄目ということで、神、クリストのみを礼拝、祈る祭りとなって、中止となった歴史もありました。しかしながら、この日は「冬至」で、季節そのものの「けじめの日」であり「太陽」を待ち望む日、或いは、「農作物」に向かっていく心構えの最初の[日」です。簡単に止めるわけにはいきません。幸いに、「イエス」は「光」に、また農作物の祭りも植物は「再生、死から生、永遠の命」です。キリスト教も「死からの復活、永遠の命」を約束するものであり、すんなりと「イエス」は「光りの繁栄」と「農作物による命の再生」の代名詞となってくれたのです。
「イエス」を祭ることは、そのまま、「光りの繁栄」と「農作物の繁栄」を祈ることでもある訳ですね。
「クリスマス」の祭りとしての人気をお借りして、光り輝く子供たちの未来と、命の連続、再生を願って「冬至当夜」に「お寺」で「クリスマス」という訳ですね
本来的には、この日「冬至」が年の初めで、新年の日であるべきです。