800キロと300キロ
サンチアゴ巡礼がどうして800キロなのか?前述の様に、フィニシチエラまでを加えると1000キロとなる。四国巡礼は1200キロと聞いている。熊野古道の巡礼の路も色んな巡礼路があるが、それぞれの路も昔はそれはそれはの距離であったらしい。四国巡礼は仏様の路、熊の巡礼は仏教思想に影響を受けつつ、生きて浄土を求める自然信仰、サンチャゴ巡礼は、神のへの路。気の遠くなる様な距離を歩き尽くして、信仰人は一体何をもとめるのか?ひと昔かもっと前か、巡礼 に出る人達は、命懸けであった。水杯を交わして巡礼に出たのだ。その延長が兵隊さんの出兵であった。死を覚悟という点では同じである。巡礼は、かってそれ程の覚悟の所作で有ったのだ。いずれの路も巡礼途中に絶命を余儀無くされる人の数は、数多知ず。そんな巡礼の路を、いまは、google maps でひょいひょいの時代です。ルートファインチングが簡単になることとが巡礼を簡単ににしたことは、事実です。嘘ではないが本当でもないと言うのが歩いてみての感じです。路も綺麗になりました。サンチアゴ協会とでも言うのが有るかどうかは知らないけれど、努力は買うが、それがサンチアゴ巡礼の本来かと思って歩く矛盾です。前回の巡礼の時、カナダの仲代達矢(本当そっくり)氏は、憤慨しておりました。舗装され、歩きやすくなった路に。彼は、彼の人生中、五回のサンチャゴ巡礼を成し遂げたそうです。彼の言葉には重みが有りました。これまで、何度となく修行の真似事のような歩き旅(禅の世界では行脚と言います)を日本だけでなく、インド、ネパール等の山中やガンヂス川遡行を試みましたが、やっぱり、22才のときに出家、僧堂入門為に歩いた750キロは初めての試みでもあったし、成り立てではではあっても僧衣をまとって仏様が歩くのだから、緊張と、そして多くの感動が有りました。サンチャゴ巡礼にも同じような感動をもらいました。貧弱ながらも信仰をもつ喜びの確信がより深まったことは嬉しい限りです。70才にもなって何ゆーよんねん。と言われればそうかもしれませんが、人生最後まで、遠山無限碧層層です。
さて、800キロと300キロですが、歩いて見ないと分からないとだけ言っておきましょう。