朝、六時。村を出ると漆黒の闇。ひかりは星。そして、。足元を照らすヘッドライト。刈り取られた麦畑と葡萄ばたけであろう遥か遥か彼方の、今夜のアルベルゲに向かって、さあ、出発だ。朝の快調がいつ迄続くやら。ホッと一息出来るのは、夜明け近く 早朝出発地の村や街を振り返って,ああ、もうこんなに歩いたんだと東の空とつらなる山の稜線を立ち返って見つめるいっ時。と、これから何キロ歩くのか?何時間かかるのか?と安心と不安が交錯しながらの毎日そして、毎日。。。 僅かばかりの巡礼道にあって、今回もまた、色んな人に出会います。長く連れ添った主人に耐えれなくなって、今、巡礼の道にいる人。何処かで転んだのであろう痛々しい膝の包帯のまだ下にも擦り傷を残して、なをサンチャゴに向かわんとする、ゆうに八十は過ぎてるカルフォルニアのご婦人。ニコニコ話しかけてはいますが、一人挑戦のコリアン。一人、考える旅だと言いました。見回す所我々一行は取り分けて何が問題だ、と言うような意識は切実ではありませんが、こんな巡礼に参加しようと言う時点でそれなりの意識はあったに違いありません。私には理解出来かねますし、又介入すべきではありません。巡礼の道も進んで来ると、体力、特に脚力は明らかに非体験の世界の真っ只中。神様、仏様の世界に近ずくなどは、遥か遠くかと思いますが、絶対なる方からのお心が我々に向っていることを信じられる心の生まれます様に。 巡礼者は、幸いである。全ての予想外の驚きに対して深い感謝の気持ちを持つ表現する言葉を持たない時。