和尚のつぶやき

お経の事

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ちょっとした縁で、シカゴの御仁と神戸の娘さんが、泊まりました。
泊まった夜は、誕生会も重なって、飲み過ぎの感あり。泊りの二人は、ベジタリアンで酒も飲みません。長く付き合ってくれましたが、全員初対面でもあり、緊張溶けぬままでした。特に、神戸の享子さんは、前回のお泊りの時も笛の練習会の夜で、付き合いが長くてすっかり疲れて、二階の寝室に逃れるように去って行ったものでした。ここは、お寺ののようではありませんねえ、というのが、シカゴの御仁、デーモンの最初の言葉でした。翌朝の、勤行。三十分のお経、後、三十分の座禅を行ずるに至って、此処は禅の寺の認識を新たにしたようです。朝食の後、「最初のお経と次のお経はどう違うのですか?和尚さんは、どういう気持ちで誦んでいらっしゃいますか?」と質問してきました。ちょっとビックリです。なぜって、数え切れない数のご縁の人達が泊まったり、座禅会などで一緒にお経を唱えましたが、こんな質問をした人は滅多にいません。日本人には何と無く分かるのでしょうか?何となくやり過ごしているような気もします。 日本語もお経も全く理解力のないヨーロッパの人の発想です。フランス人の得意分野です。解らないことには実に素直にくいつきます。私にとっても、新鮮に思える質問で、嬉しい質問です。咄嗟のことで、よく答えることができたか分かりませんがこのように答えておきました。
最初のお経は、観音経と言います。観音は観世音ともいい観音様と擬人化され、色んなな働きを持った観音様がいらっしゃいます。観音とは、音を聴く、世間の音を聴き分ける力を持った仏様です。風の音、波の音、は勿論人の心の音、苦しみ、悲しみ、憤り、妬み、嫉妬、喜び、幸せ等、全ての宇宙間の音を聞き分けることができます。そして、聴き分けるだけでは無く、全身全力でその音のなかに飛び込んで行ける人が正しく観音、観音様だと。その為の勤行、そして、瞑想座禅。いずれも基本は、息を整えることが、大切である。次の般若心経は最後のサンスクッリト語の音訳、ギャーテイ、ギャーテイ、ハラソーギャーテイ、ボージソワカ、ハンニャシンギョウ。のギャーテイの意味、さあ、一緒に行きましょう。何処へ?悟りの道(唄うも舞うも法の声)へ というところに心を込めて唱えることが、仏教徒の祈りであり、大乗仏教の醍醐味でもあり、願いであると答えておきました。そういう訳で、無心にお経を唱える、お経の中に入っていくことが出来れば上出来でしょう。
忘れてならないことは、何でもかんでも、さあ行きましょう。と、上っ面の理解力しか持たず、先の戦争で、無分別な戦争参加に加担した事実は、反省ぐらいでは許されるものではありません。最近の怪しい憲法解釈等、きな臭い社会事情に敏感に感じる宗教力と行動力が要求される世相となりました。政教分離といことは、政治( 社会)に無関心ということではないのです

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