檀家さんではないが、ご縁があって両親の葬式や法事などで知り合った方から電話があった。うちの子供(小学生)たちと毎日般若心経を唱えています。子供たちもすっかり覚えました。ある日お経の意味を問われて、早速本を読んだのですが、難しくてわかりませんでした。子供にもよく説明できなかったので、和尚さん、こんどの法事の時に、子供に良く分かるように説明お願いします、と。
先日、テレビで荻野吟子(日本女医第一号)の番組が流れておりました。キリスト教の広報番組のようでした。彼女が成した医学上の成果も近代日本下の女性の地位向上の為の活動家としての成果のバックボーンにはキリスト教の教え、特に聖書の次の言葉
「人がその友のためにいのちを捨てるという、
これよりも大きな愛はだれももっていません」ヨハネの福音書 15-13
があったに違いないと結んでおりました。
私も毎日、朝の勤行では般若心経は勿論、亡くなられた方の鎮魂の為の大悲呪というお経や観音経など唱えますが、お経はそもそも生きている我々のために説かれた真理の言葉ですから、私がわたしの内なる自分に向って読む魂の言葉です。佛教の教えを示すことばのなかの一つに、「同時」という言葉があります。同時というのは 自他が同時という意味ですね。自分の喜びは同時に他人の喜び、他人の悲しみは同時に自分の悲しみ、分け隔ての無い心で接していくこと、出来ることを「同時」といいます。思うだけではなかなかに行ずることはかないません。そこで声を出してお経を唱えるのです。他人のためは自分にため、自分の為は他人の為と願ってお経を唱えましょう。
荻野吟子は夫からうつされた病気の為に離婚の理不尽、その治療の差別的屈辱に、おなじ病を持った夫人たちに同じような屈辱を味あわせたくないの一心で医者の資格を取りました。
他人のために命を投げ出す覚悟だったのです。それが他人への大きな愛となったのです。同時にそれは自分への愛へと昇華されました。
般若心経を読めば、友達と仲良くなれるよ。やさしい言葉が見つかるよ。そう信じてお経を唱えてね。とまずは言っておきましょうか。
語りて益なきき言は黙して此の経をねんずべし
想うて益なきき時は忘るるに此の経を唱うべし
瞋りて益なき時は笑うてこの経を読むべし