和尚のつぶやき

いのち

いのち

この寺に入ってすぐに取り掛かった仕事の一つに井戸掘りが有った。池のある庭を作りたかったからである。ちょっとした池も出来上がりましたが、この井戸水は、昔何処にでも居た洟垂れ小僧の青っ洟色になって、お魚のおっとりと泳ぐ様などを楽しむことなど、土台無理。お寺の辺りは地下水脈ワーストワンポイント、ガックリです。去年の冬、青鷺の魚泥棒の危機から生き延びた名誉ある色鯉数匹と、奮発して新しく入居さした錦鯉。その上、知り合いのお父さんが持って来てくれた立派な錦鯉も加わって、なかなかの池風情でしたが、「今ごろ何でや」と言う時期に、立派な三匹の錦鯉はご臨終。水が合わなかったのでしょう。残った鯉たちでしっかりやって行きましょうと意も新たに決意した日の翌朝。
池には一匹の色鯉も居ませんでした。この冬、池の魚を狙って居着いていたと思われるあのにっくきアオサギをここ二三日池のあたりで見かけました。奴に違いありません。春になって、安心して逃げ場の簾を取ってしまったのが、仇となりました。申し訳ない気持ちで、鯉達の冥福を祈ってまた、酒が進みそうです。
思い返せば、四十数年も前でしょうか?神戸から埼玉の平林寺に修行行脚の旅の途中、とある山里の入会地の田んぼと竹やぶの境あたりから、何やら異様の響きの鳴き声が、心を騒がします。分け入ってみると、殿様蛙です。なかなかの青大将に既に尻から半分ばかりに呑み込まれながら、なお逃れようともがく中の彼なりの絶叫であったと合点しました。
咄嗟に、棒切れを探して、逃がそうと物色しました。ところが何やら違う気配も流れます。「お坊さん、馬鹿なこと考えたらあきまへんで。俺だって、命かかってまっせ。」顎の関節外し切って、目を白黒させ乍ら、「速やかにこの場を去れ」と青大将は哀願しています。いずれの命を思っても、涙せずにはいられませんでした。こんな長閑で穏やかな田舎の畦道でも修羅場で一杯です。嫌いだけれど、アオサギを恨むわけにもいきません。という事で、池は睡蓮と蓮池に変わります。

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