昭和42〜3年ごろか、神戸六甲の祥龍寺の菅宗信和尚を得て、得度した。その頃、この寺の一番弟子に高田慧穣という方が有って、単身、メキシコに禅の布教に行っておられた。慧穣和尚は、次から次に弟子と称するメキシコ人を祥龍寺に送り込むのである。中の1人にサリーナス(30才ぐらいか)と言うコミック俳優がやって来た。日本語は全く通じない。全く準備の無いまま埼玉の平林寺に入門する事になった。私がそうしたように、神戸から平林寺まで歩いて行くことになった。
日本人の僧堂入門新米雲水でさえも殆んどチャレンンジしない方法である。勿論伴走は私である。結果、名古屋辺りで 気がおかしくなって、敢えなく電車で埼玉の平林寺に赴く。言葉の問題もあってか、気風合わずして祥龍寺に帰ってきて、まもなくメキシコに帰った。、このサリーナスの事である。
宗信和尚と学生数人で唐招提寺に行った時の事である。傘の要るような要らないような小雨の日であった。観光客混みいる中、彼は突然大仏殿の前で、五体投地した。3度ばかり繰り返した。日本人僧の我々は手を合わすばかりであった。
五体投地は知ってはいるが、そのような習慣が日本には無い。という訳で、ただ、茫然と見守るばかりであった。その後、インド、ネパール、チベット等の仏跡拝塔の縁をいただく中で多くの熱心な信者さんの五体投地の祈りの姿を目の当たりにして、ヒンズー神に帰依する真の姿に触れた思いの経験があった。 何十日もかけて、家族であろうか、鍋釜担ぎながら、きっと交代で遥か彼方の聖地までの五体投地を繰り返しながらの、巡礼の旅である。時間の捉え方と、信仰の重みの比重感覚が随分と違うものかと感じ入ったものである。
熊田和尚は信仰の人だ。ちょっと歯にかみながらの鑑真和尚への合掌参拝であったと思う。が、その姿を想うだけでこちらも嬉しくなってくる。