今の「おむすび」の前には、「うしお」というやっぱり白黒の雄猫が我が家をうろついておりました。体格もあってホルスタインのようなので、牛男と名付けたのです。これがまた全身病気と言うべきか、身も心も弱っておりました。目はほとんど見えず、やわらかい餌を与えても三口食べては二口吐き出し垂れ流しの鼻汁と一緒に最後の一口を食べるという有様で、口内にも肉腫があって、毎回毎回命がけの行でした。近くの動物病院のスタッフも触るのをためらっていました。いつ死んでもおかしくない状態で生きていたのです。かく汚く、おぞましい様な「うしお」でしたが、一緒の時間を共有するうちに一寸した友情の兆しも在ったのですが。
昨年(2011)夏、インド、ガンジス河源流の旅から帰ってきた夜、暗闇のガレージの車の下から、かすかに絞り出すような、にゃー と言ったのが最後でした。疲労困憊の夜でしたが、あまりに可哀想で、めそめそと泣きながら「うしお」を思いました。何のために生きてきたのかと問わずにはおれないようなそんな猫「うしお」のことを。その夏はオッソロシイくらいの猛暑で、お寺辺の人たちも熱射病で数人入院したのを憶えております。
暑い暑いコンクリートの上でかえりを待っていたのかと思うと堪らなくなります。「遅いぞ」と言ったのか、「お帰り」と言ったのか、それとも、「有難う」とでも言ってくれたのか。
表の駐車場の一角に不遇の死を迎えて逝った「うしお」、「おっちよん」「たま」等の幼き墓石があります。手でも合わせてやってくださると有難いのですが。