和尚のつぶやき

お盆に想う

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お盆の日、お施餓鬼に話した要訳と追加。

今日は御盆、亡くなった人の命を忍んで、尊ぶ日です。
命と言うと、皆さんは、今生の命、即ちこの色身(肉体)が活動している命と思われるでしょうが、実は命にはもう一つの命があるのです。
そうです、心の命です。人間の命は、心身の命なのです。
マーク、トウエンのことばに 「人生で一番大切な日は、生まれてきた日と、生まれてきた意味の解った日」という言葉がありますが、
うまれたままの清らかな心の所在地が分かることが、人生で一番大切なこと、即ち、生まれてきた意味の解ることなのでしょう。
これを心の命と言うのでしょう。
肉体の命は、限りがあります。が、心の命は連続します。連続する命の自覚を促し、願い思って自覚する、お盆はそんな日ですね。
人間は、亡くなる時には、生きてきた意味は大体は、それなりに理解できるのではないかと、わたしは思います。
しかしながら、それでは遅すぎるのです。
お盆にお寺の集まって、先祖さまを想い、供養するのは、先祖の命(霊)が、私たちの心を揺さぶって、この今生の命が、実は、過去、現在、未来の命の連続のうちの只今だということをを伝えているのです。
こんなことを書いている内にもう彼岸です。

芭蕉の句に「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」があります。
生まれてきた意味を理解するには、菩提の種を蒔かなくてはなりません。そして、育てる努力が必要です。
菩提の芽が出るための努力、それは、供養です。自分以外の命を慮る供養の心です。
供養の心とは、今まで気づかなかったことに気づく、そんなことあたりまえだと思う前に、新しい気づきのの発見です。
実は、私たちは、見えないもの、気づいていない多くのものに生かされているのです。
金子みすずさんの句に「星とたんぽぽ」という有名な詩がありますね。

青いお空の底深く、海の小石のそのように、
夜がくるまで沈んでる、
昼のお星は眼に見えぬ。見えぬけれどもあるんだよ。
散ってすがれたたんぽぽの、瓦のすきに、だぁまって、
春の来るまでかくれてる、
つよいその根は眼に見えぬ、見えぬけれどもあるんだよ。
見えぬものでもあるんだよ。

坂村真民さんの詩にも

見えない根たちの
願いがこもって
あのように
美しい花となるのだ。

亡くなられたご先祖は、見えない根。
皆様に美しい花を咲かせてくれと、
ねがっている。

眠れないで、テレビのスゥイチをひねったら、ちょうど映画の終わったところで、その内容はさっぱり解りませんが、
最後のシーンに、  The future is now  映っておりました。
菩提(未来)の種も今蒔かなくてはね。

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