此の塔は、前住職、熊田和尚が最晩年、何が何でもという勢いで設置した塔である。どういう形式のものか、その形に名前があるのかも私には判らない。晩年、三年半ばかり一緒に生活を共にさせていただいたが、そのわずかの間にも、石塔は増えていった。境内を三歩歩けば石にぶつかるという態であった。和尚遷化の後、保寧寺と縁のあるお寺さんに嫁入りに行った石や石塔は数々在って、今も立派にその寺で頑張っているのを見ると、ほっとするが、その中には信者さんの寄贈なども在って、不義理の感、無きにしも非ずで、冷や汗の事態も在りました。境内の木も和尚に追いかけまわされながら、切って、切って切りまくりましたが最近は、切るものがなくなって、何のことか、また植えまくっています。すったもんだの此の塔も流石にでかくて、どうにもなりませんが、今は落ち着いて、風光を保っています。入寺当寺のピリピリ感はすっかり無くなって、最近はすっかりボケの兆候が出始めました。此の塔を眺めながら、丁々発止の二十年前を懐かしんでいます。近いうちに副住職さんを見つけて、隠居かな?とおもう昨今です。良きにつけ悪しきにつけ、いろんな想いを頂いた熊田和尚との三年半は有り難い。あっちの石、こっちの石塔を介しての先住さまとの会話を楽しんでおります。このような気弱なことを書きますと、あの和尚もあとわずかやなあ、と思うでしょうが、おっとどこいでっせ。