和尚のつぶやき

困ちゃうな~。

困ちゃうな~。

「天国」では困るのよ。
葬儀のあと,最後のお見送りの時の事です。家族、親族の皆さんは亡き人に最後の言葉としてこう言われます。「天国で安らかに眠ってくださいね。」「 天国で待っていてね。」と。涙ながらに ご遺体のおでこなど摩(さす)りながら、この様に言われると、側で聴いている方も、思わず、そうなってもらいたいと思いますが、あれ、一寸違いまっせ。ウウーン、困ったなあ、と。
その場では声に出していうこともできませんが、こりゃあいかんな~と思うのです。
天国で安らかに眠ることの出来るのは、神の義を守り通すことの出来たキリスト者に限ります。良き信仰を守りし人に約束された永遠安住の地なのです。したがって、世界ひろしといえども左様な人は殆どいない訳で、天国はがら空きかと思われます。だからこそ他宗ではあっても安住の地ならばという切なると言うか、素朴な願いが飛び出すのでしょう。
仏教の教えには、死後の地は天国や地獄と言った永遠の所在地は有りません。地獄、極楽と言った絵図はあって、いかにもありそうですが、実は、有りません。それに、永遠の落所でも有りません。命は生まれ変わり死に変わりして、普遍の生命が万物の中に形を変えながら遍満存在して生き続けます。
柳沢桂子さんは著書「生きて死ぬ知恵」でこの変化する命の根元を原子の集約と言っています。したがって、人間や犬や猫、ミミズにオケラに魚まで、この命の形は原子の集約度によって決まるのだと。そして、縁に従って、形を変えながら生き続けます。
天国や地獄で納まってもらっては困るのです。この身(形)は変わっても、又生まれ変わって他の命の為に尽くしてもらいたい。それが、仏の願いです。最近発見のヒッグス素粒子も永遠不滅の命の在り処の科学的証明の他なりません。
お釈迦様は、2500年も前に「色即是空、空即是色」と喝破されました。
驚嘆に値します。折角、仏教でお葬式をして般若心経も唱えてお葬式をしてしているのだから、「又生まれ変わって出会えたら宜しくね」とでも言いましょうか。

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