小崎和尚の法話

布施

「お布施」という言葉を聞くとみなさんは、ははぁ、法事や葬式の時に差し出すお金のことだな、と思うことでしょう。そのとうりりです。それも由緒正しいお布施なのです。金品を伴うお布施は財施(財布施)と言います。法事や葬儀のとき、この布施を差し出す時期に試案する人が結構多いのです。葬儀屋さんなどは、なるべく早く出したほうが好いという意見が多いらしく、儀式がはじまる前にそのように言われましたと言って、厳かに差し出す方が、多いのです。保寧寺では、お布施は儀式が終わってから頂きたく思います。誰が考えてもそのほうがよかろうかと思います。

保寧寺は近隣以外にも東京方面を主として関東エリアに檀家さんがあります。葬儀に出かけたメモリアルホールでお布施を頂くときに、亡くなった方のために私もこうして出かけております、出来ればお礼のご挨拶としてご家族ともどもお寺に来られて、一緒にお茶でも頂きながら近況でも伺いたいのですが、と申します。ごもっともと思われて、そのようになさる方や、明らかにそんな邪魔くさいことと言った様子もあります。色々ですね。今日は、仏事においても、宗教的事情よりも社会的事情のほうが優先される世の中です。お布施にまつわるいざこざの多々あるのもこの辺の事情によるのでしょうが、反省するに、社会の変化もさることながら、宗教者(坊さん)の宗教意識の低さから来るトラブルのほうが主たる原因か、と思われる場合もこれまた多いのです。法事など無くっても、今日は久しぶりに保寧寺までドライブするか、和尚さんとお茶でも飲むか、一寸本堂でしづかに座ってみるか、写経でも、御詠歌でも,作務でも、等々なんとかかんとか理由をつけて集まれるようなそんな寺で在りたいものです。

お布施の話ですが、もうひとつ大切な布施があります。法施(法布施)です。みなさんが持っている色身(からだ)と心で与えてゆく大切な行ですね。やさしい笑顔、涼しい目元、穏やかな声、真心のある優しい親切、気品のある歩き方、座り方、皆さんが生きている間に為すすべての行為と心の在り方がそのまま布施となります。白隠和尚は、歌うも舞うも法の声、と唱えられました。あまねく一切の生きとし生きれる他者との出会いの中で、降り注がれる皆さんとの触合い、それこそが第一の尊ぶべき布施なのです。

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