小崎和尚の法話

笑えない話し

昔、坐禅会のメンバーだった居士さんが、何かの折りに出会ったとき、面白い話をしてくれた。
芥川賞を受けた妙心寺派のお坊さんが、何年か前にテレビかラジオかで梅原猛氏ともう一方(ひとかた)(宗教学者)の3人で対談をしているのを聞いての感想を伝えてくれたのである。
タイトルは「空海、その空白の時代」といった内容の対談であったようです。昔より空海の青春時代の4、5年間の行動は定かでなく、研究者の間では何かと話題になっており、その偉大性なるがゆえに、益々神秘のベールに包まれております。私なども毎年四国巡礼の度に弘法大師の偉大さにただただ感動するばかりです。日本最大の宗教家、空海を語るにはあまりにも我々は小さすぎて、彼を語ろうとも、その偉大さ故に、適切な言葉すら見つからぬほどです。
その対談の中で、空海の空白の時代に話が及んだ。どのようにお過ごしであったのであろうかと話題が移った時、件の臨済僧は事も無げに「若いのだから女と交わってもいたでしょう」とさらりと言ったそうです。そうかも分からんが、今の自分の境涯で空海を語ってしまったのである。他の2人は絶句。そして梅原氏は「どうぞ、後は1人でやってください」と言っていたと居士がおもしろおかしく話してくれました。
それを聞いた時、私が思ったことは、「不思議な言葉だなぁ」と思いつつ、しばらく気にはしておりましたが時間の経過とともに忘れておりました。

最近、梅原氏の講演会があって、講演の後に会って話す機会を得たので、そのことについて少しばかり話をしてみました。彼は本当にそのように言ったのかどうかと。梅原氏は明らかに不愉快な思いで頷きながら、彼のことを配慮しながらも「仏教を広めるのは結構なことだが、あまりシタリ顔ではねぇ」と吐き捨てるように言われた。
口には出さなかったが、宗教家としての修行の浅さを嘆かれたのであろう。今や、かの師は本山の広告塔として東奔西走の日々である。一向に勉強もせず布教の努力もせず、安穏に過している坊主にとっては有り難い存在には違いないが、何か大きな落とし穴が待っているようで落ち着かない。
巡教布教で来られる布教師方にも似たような不安をおぼえるのは私一人ではあるまい。当教区でも布教は老師にしていただきたいと、無理は承知の本音を吐露される寺院方もある。受賞作家の僧の禅知識をもって大いに禅の布教に努めてもらいたいのは切なる願いであるが、しかし「シタリ顔」は大いに困るのである。

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