小崎和尚の法話

保寧寺便り 禅語 忍 辱 精進

忍 辱 辱える

KSANTI(クサンテイ)といいます。 
        
人間は泣きながら生まれてきたんだ 長い人生だもの

泣くこともあるさ

その度に生まれ変わるんだ

きっと。

人間がつくっている

世の中だもの

人間が耐えられない

苦しみなんか

無いはずだよ。

                 

京都、本山妙心寺で坊さんの集まりがあった。

これからの教団のあり方、僧職としての資質、布教のあり方と、多方面にわたり話し合いがもたれました。
その中で一人の若い住職の発言に驚きました。

曰く、「禅宗の寺や坊さんは他の寺と比べて構えているような処があって親しみにくい。私の親しい友人は熱心なクリスチャンで、彼は困った人、悩んでいる人、悲しんでいる人に出会った時、その人に『教会に行きましょう。そして一緒に祈りましょう』といいます。我が宗にはこういうアプローチは無いものかといつも悩むところです」と言ったのです。

思わず私は言いました。「ならば、どうして貴方はお寺に行きましょう、本堂で一緒に座りましょうと言わないんですか?」と。

件の人は「私の寺でも座禅会はやっています」と答えた。

遅八刻。時すでに遅し。なんとトンチンカンなることか。これが我が宗門の現役バリバリと称する人たちです。

座禅の功徳、お経の力を信じていないプロが何とウヨウヨいることか。

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