チベット巡礼

拉薩は中国? チベッット巡礼

拉薩は中国? チベッット巡礼

11時50分、チベット ラサ着。飛行機を降りた途端に身体がフワフワして、足元がおぼつかない。旅行会社と手筈が違ってタクシーでラサ市内までいく。運転は北京同様というよりも、もっと荒っぽくて、寝たふりをしてやり過ごすか、ひやひやドキドキ の感嘆詞(例えば、ヒヤーとかドヒャーとか夫々自分に合った驚きの声)を発しながら乗っているしか方法がみつからないだ。こんな運転で事故はないのか? とガイドに聞くと、結構ある。という答え。我々が遭遇しないことを願いつつ、明日からの旅となる。昼食後、近くに散歩に出たものの、明らかなる高山病の諸症状に見舞われて、全員ダウン。ホテルに帰って昼寝となる。
チベットは手強いぞ!。只々、高度順応の適応早からんことを願いつつ、なれないパソコン入力となる。ラサの街は飛行場から町の中心部に至る幹線道路の印象では、道路、建物のは完全に中国化様相で、近代化という言葉がピタリと似合う街並み。
果たしてがいどさんの説明によると、飛行場から町の中心部に至る辺りはラサの西部にあって、完全に中国の街です、と。ポタラ宮殿を中心に街の東側が、ラサの旧市街だそうです。滞在中に訪れましょう。(結局、行きませんでした) そういう訳で、ポタラ宮殿が有って、ラマ仏教のメッカの証、マニグルマや数珠を持って 、ポタラ詣でのチベッタン巡礼者が数多く街中を歩いている姿のみに、ああ、此所はチベットだと思い返させてくれる不思議な空間となった。中国以外の特にヨーロッパ諸国はダライ・ラマ十四丗尊師からの感化力の影響による中国批判が主流であるが、しばらくでもこの国に滞在して生活をしてみると、また違った想いも湧きいずるやもしれぬ。そんな直観が高山病に因る頭痛の頭に過ぎりました。この地に足を踏み入れたばかりの一介者が何を言っとるか、というとこですが、歴史は変わる、力が変えてしまう。
夕食はネパール料理店と決まる。 ネパール色の作りと調度品が売りのホテルの二階、バルコニー風で気をそそられるが、一寸古いかなあ。ネパールの酒、チャンを頼んだけれど、これはいけません。殆ど腐り状態でした。カトマンズの食堂で密造酒と言われながら飲んだチャンはモットモット美味かったように思ったが、あの味は嘘だったのか?
このホテルの玄関の窓の数枚は明らかに拳銃に因る大きな亀裂があって、新聞やテレビで見聞きした情報と重なっていやに生々しい。噂に聞くほど兵隊数は多くはないが、市民とのよそよそしい空気は隠せない。

ページの先頭へ