チベット巡礼

修行中 チベッット巡礼

修行中 チベッット巡礼

八月二十一日
高山病は昨夜の治療功あって、と云いたかったが、ポタラ宮殿はそんなに甘いものではなかった。きつい、きつい。仏縁深きポタラ宮殿は高度3600m に有って宮殿最上部は、3800m。そこまでは階段階段、また階段。姫路城の倍ぐらい登ったような気がしたが、なにせこの高地。いつも自慢して申し訳ないが、かっては5,6千mクラスのヒマヤラの山々を走り回っていたかっての姿は、何処にもなく、同行の諸氏からは、あまりの情けいない姿に同情を超えて憐れみをいただく始末である。
ああ、嫌だ。ポタラ宮殿をほうほうの体で脱出すると、ダライ・ラマ尊師の夏の保養所に行く。ダライ・ラマ7丗、 13丗、14丗の保養所、宮殿兼執務室でもある。いずれの宮殿にも夥しいばかりの仏像群で、暑苦しいばかりである。こんなこと言っては顰蹙ものだが、その上、けたたましいばかりの極彩色の全てに囲まれて、思考がどっかで偏りはしないかとこれまた、阿呆の独り言。日本の淡色宗教仏像に価値観が定まってしまっている脳細胞をかき回すにはもうちょっと手遅れの感あり。
高山病後遺症は未だはっきりせず全員、ゾンビ集団の動き様。夕食時には、時間が有ったが、もう移動する元気も無く、時間調整と言う名目で全員異論なく又々、足マッサージに直行。 
嬉しいいこともある。ポタラ宮殿の阿弥陀様の前で息も絶え絶え、目も虚ろに、ぼーと眺めてたのだが、チベットの巡礼者が私に頻りに 喜捨をするのである。狭い通路とごった返す巡礼者の中、私は気がつかずにいた。(和尚さんお布施してくれてますよ)同行の人が頻りに言っている。薄明かりの中、坊主頭、チベット僧の衣に似たジャンバーが巡礼者をそう思わしたにでしょう。嬉しいことでした。五六年前、漢土二十数カ寺へ平和祈願法要に出掛けたことがありました。夫々の寺院では多くの村人が集まって我々を迎えてくれます。日本僧は、確か十人くらいだったと思います。この時も数ヶ寺の寺で村の信者さんから喜捨をうけた事があります。他の坊様はそのようでは無かったし、これも不思議で有難い体験でした。如何にも貧しいなあと思われる村々のおじいちゃんやらお婆ちゃんからこんな日本の贅沢坊主に喜捨を頂きながら、雲水時代、師匠から「雲水時代はなあ、人天の供養を存分に頂いて、住職にでもなれば、身に付いたお徳をせっせとお返しすることじゃ、坊主はそれに尽きる。」の言葉を思いかえしながら返し切れない我が身を恥じ入っておりました。
この時、我らが団長、則竹宗南老師の出来事は忘れることのできないものでした。
ごったがえす土産物売り場のなかでした。20代後半の中国男性が、老師の前に跪き、そのままの姿で動きません。老師もじっとその青年を見続けます。ガイドが、この青年はいつまでもこの状態ですよ。と、老師に伝えます。
老師はどう言ったと思います?「青年の気の済むまでその様にさせなさい」と。
しばらく其の場の時間が止まったようで、その後、どう収拾したかの記憶が飛んでしまっていますが、聖書の中にもそんな場面が遭ったような記憶があって、2000年前にタイムスリップしたのを覚えています。

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