和尚のつぶやき

春の兆し

私の事務室兼寝室は二面が庭に面していて、四季を通じて木々の変化をじっくり眺めながら毎日を過ごせます。
此処は、気候的には暑さ寒さも平均的で、気候の変化にも乏しい故、鮮やかな四季の変化は望めないまでも、庭の木々たちはそれなりの努力をしているのがいじらしい。
個人的には新緑の頃が一番好きだ。薄い赤みを帯(お)びた木々の新芽はうっすらとした薄緑から輝く緑へと変化してゆく。流石にじっと眺めていてもその変化は分からないが毎朝毎朝、薄明かりから明るくなってゆく頃、庭の緑が明らかに変わっていく様を見るのはたまらなく有り難い。贅沢の極みである。
朝日が昇って膨らみ始めた新芽に降り注ぐと、純粋とか、清らかさとか、無垢とかいうような、そんなことばの集まりが囁き合って漂(ただよ)っているような、そんな、錯覚さえも覚えるほどです。
今、季節は極寒の真っ只中ではあるが、温暖化の明らかな影響か、震え上がる様な寒さはまだやってこない。
年末からはっきりと「咲きまっせ」と意思表示をしていたこぶしの蕾(つぼみ)は,いまにも咲きそうな勢いである。とっくに咲き誇っている蠟梅(ろうばい)には申し訳ないが、冬から春へひたすら待っている者には断然希望と勇気を与えてくれる、そんな木のように思われます。皆さんは如何でしょうか。
春に先立って一気に咲きだすこの勇気あるこのこぶしはまた以外な一面を露呈(ろてい)します。春来たるを告げる風に以外にも弱くて、輝くばかりに咲き誇っている時期はあっという間です。その散り際の不味さ(まずさ)は、極寒に春を待つその力強さとは圧倒的に違っていて毎年歳々、不思議な木だなあ?と、眺めております。
とは申せ、只今、この木は誠に勇気ある木で、私に元気をくれるのです。
春在枝頭已十分(春は枝頭に在って已でに十分)

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