和尚のつぶやき

トレッキングとパラグライダー

一昨日は夜随分と雨が降った。明日は綺麗な空気と思いきや、恐ろしい事態に。空いっぱいが埃ぽい。土ぼこりである。山の向こう、パキスタンの方からながれてくるらしい。
所謂公害。昨夜もまた降ってトレッキングは危ぶまれたが、なんと、スッキリコッキン、快晴。9時過ぎ、Girをタクシーで出発。一昨日パラグライダーに乗る為、軽トラに無茶苦茶詰め込まれて、その上猛スピードで超危ない山道を爆走され、Birringの山頂に着いたら車酔いで、今にも吐きそうだった。
その同じ山道を走っている。今回は大人しいドライバーさんで、大丈夫。Birring山頂に着いた。
余談乍、パラグライダーに乗るのは、初めてだからおっかなビックリだし、その上車酔いで、大いに気分が悪い。一緒に車に乗り込んだインド娘もビビっている。
。「大丈夫、大丈夫」と励ました手前、辞める訳にはいかない。離陸もスマートにこなし、大空に舞い上がる。眼下の谷や村を眺めて楽しみたいのだが、下を向くと車酔いで気持ちが悪い。仕方なく、空ばっかりを 眺めていた。サービスだと言ってグリグリ回りを始めた。
大空いっぱいに吐きそうになった。「やめてほしい」と哀願。
弱虫と思われたかも知れない。 20分弱のスカイダイビングだったが、楽しいだろうなと思った。酔わずに乗りたい。
Birring から2時間ばかり歩くと、Baijinathの峠に出る。ヒンズーの神様が祀ってある祠の前に茶屋が二つ。一つは石作り。も一つはは窪地にトタン屋根を被せた、風でも吹いたら危ないなあと思わせる簡単創り。いずれも老人が主でニコリともしないが、頑固でもない。同行の meenu が簡単創り小屋に入ったので靴を脱いで私も続いて入室。写真のような野趣味溢るる炉前に座ってチャイを飲む。慣れた手つきでお茶を作る様は、一つの無駄もなくて、お茶を点じていただいた様でした。十数年来使い込んだプラスチック製の容れ物から砂糖を取り出してチャイの鍋に投げ入れる様なんぞ、まさしく、茶道です。後から入って来た若者に作ったインスタラーメンも違うことなく名人芸でした。
稽古として習っても生活に密着していない習い事には無理がある。この小屋の親爺さんのすべての所作は生活に密着した生活そのもので、「道」なのだ。いい人に出会ったもんだと人生楽ちん気分。
写真の様に種火の上に一本の大木があってそれが端の方から静かにそして穏やかに燃えている。客があって火が要る時は一、二本の祖枝を焼べて火力を増す。日本でも、お爺さんお婆さんの時代、農家辺りでは何処にでも見られた風景だが、、この山小屋の親爺さんの囲炉裏術に感動。
参った参った‼︎。
ゆったりと広がった山あいの部落Rajigunndhaの掛かり、Ishant Guest Houseに着く。出来てまだ数年しか経っていない行き届いたゲストハウス。泊まり客は私達だけ。贅沢 贅沢。
お遅めの昼食カレーを頂いて、私はシャワーを摂る。靴下を洗って干そうとしたら、凄まじい雨が降って来た。山間部の雨は中途半端ではありませんぞというような大粒な雨が止むことなく降って要る。こんな調子降りつずけると、明日の下山が心配だ。さてどうなるでしょう。寝ます。
翌朝
青い空はありませんが、昨夜の雨は止んで、何事もなかった様な静かな朝。
全体がミルク様に曇ってはいるが、目の前の谷合いの村は緑一色。六月というのに、空気は凛と冷たい。山の斜面をむらびとが収穫用の三角帽子を逆さまにした様な網かごを背負って段々畑の中を歩いていく。
そう言えば、昨日の雨。凄い雨にびっくりして、外を覗いていたら、そんな中でもむらびとは一心に、耕していたし、牛たちも、どうしたもんかというふりもなく草を食っていた。これでもかという雨が続くので、また見たら、農夫も牛も居なかった。
峠の親爺さんといい、むらびとの生活といい、親しく話しをした訳でもなくただ側からの傍観に過ぎないのだけれど、「生活に密着する」の言葉が浮かんで、我が身の現実を思い返させられた。便利さのの中で見失っていくものの何と多いことかと。朝、7時。山瀬に薄っすらと太陽が覗いた。嬉しい。ゲストハウスに行く峠道で出会った娘さんです。親子三人かと思いますが、山の枯れ木を背負っていました。山の生活にあまりに似合っていたのでパチリ。山の木々を集めて生活している部落に居る不思議。峠の茶屋の火の温もりを思いながら歩いていたので、焚き木の木を背負って居るその姿にちょとした感動を覚えました。
昨日の宿屋は私たち三人だけだと、ホッとしていたのだが、いったい何時だったのだろう?
階下が俄かに賑々しいのだ。その内、歌なども始まってやむ気配もない。半ば寝ぼけているので、どうでも良いのだが、いやにうるさいなあ と思いつつも寝入ってしまった。翌朝聞くと、あの凄い雨の中反対側から登って来た8人の一行が、飛び込んで来たのだ。私は、ダブルベッドの一室を占領して寝ていたのだが、ベッドが足りないので、共用したいとオーナーが申し込んで来たそうだが、亨子は断わってくれた様だ。私はそんなこと一向に知らないから、朝、階下に降りると、ロビーの一室に芋みたいにゴロゴロ寝ている人がいる。
この連中がうるさい人達かと思ったもんだ。アルパラタというマッシュポテトを入れ込んだチャパティを朝食にとって、といっても、勝手に向こうが持って来てくれるだけではあるが、美味しく頂いて9時過ぎ出発。大きな谷を下ってUhl川を渡って右岸を下るとパラガウの村が最終地点。右眼下に流れるUhi (ウリ)川 に広がる段々畑と村人,羊の群れを引いて歩く牧童 、Uhl川の清流、遥に臨むヒマラヤを眺めながら、ルンルン気分のトレッキング。段々畑のあぜ道には、村の子供がうずくまって遊んでいる。手を振って通り過ぎると、恥ずかしそうに振り返す。おとぎ話のような光景に、遠い昔、小さい頃、家を戦争で焼かれ、父母の里の親戚を渡り歩く生活の中で見た似たような風景を思い出す。懐かしいけれど、悲しい。
バラガウに着くとon time でタクシーが迎えに来てくれた。現地の人と一緒だから何もかもがスムーズに進むことができる。有難いに尽きる。Uhl川沿いにはあっちこっちにテントが張っていて、観光化が進んでリゾート地がどんどん増えている。タクシーでビルに帰るのだが、川沿いの一本道はすれ違う車で、渋滞が続く。ほとんどの車は自家用で、中には、家族、友達がほとんどで土、日曜日ともなると、街からドッツと山あいのリゾート地めがけてやってくる、今様インドの昨今が見えてくる。大型トラックとのすれ違いで、命がけの様相に私はドキドキの連続なのだが、この国の人たちは、当たり前の様に、こなしてゆく。面白いのは、何としてもすれ違い困難で動けなくなると、いずれの方向からも、数人の俄か交通警官が現れて各運転手に進め、下がれ、避けろ、と指示を出すのだが、支持に従う者はいない。誰よりも早く行くのが運転の使命だと心得ている人がほとんどである。そんな訳で、俄か整理が功を奏しいるのかどうか怪しいのだけれど、動かなかった車が動き出す。兎に角運転は、おっそろしく荒い、そして上手い。
デリーの街中、大混雑の中、通行の人は平気で車の中に飛び込んで来る。走っている車は絶対に止まるという確信があるらしい。車同士も同じ思想形態のルールで動いている、そう言う走り方だ。
とは言うものの、時々は、このルールも崩れることもある様で、ボコボコ車が立ち往生しているし、今回は無かったが、きゃあ ー‼️、と言う場面の遭遇もあった。
高速道路らしき道で、人間が轢かれるよりも、牛が轢かれた時の方が、一大事、大騒ぎ の時があって、随分頭の混乱をきたしたことがあった。
Bil着く。懲りずに又も、アユルベーダーオイルマッサージ 行く。油ずけの身体で宿 に帰るとやっぱりGurpreet が待っていてくれていて、今夜のホテル、TARAGARH PALACE HOTEまで送ってくれる。この地の王宮後で、今までとは、一味二味違って居心地は良かったが、全てが高かった様です。夕食を一緒にとってお別れ。今年の冬に、保寧寺で会いましょうという約束をして。果たして彼は何のために、日本にやって来るのでしょう?。お楽しみ、お楽しみ。
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