和尚のつぶやき

アメリカ坐禅旅

11月17日、好天では無いが風の無い穏やかな秋、ロスアンジェルス、MT Baldey zen meditation center 臨濟寺に着く。
総勢、三十名ぐらい。アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、日本、世界中から集まった禅男、禅女がこの山中で、蠟ハ摂心(年間でもっともっと厳しい坐禅三昧週間)。
先住職、佐々木老師ご健在中はさぞ、精彩を放って活発で在ったろうと窺がわれるが、今は留守番が一人という寂しさである。馳せ参じ、良き実りの摂心が出来ればという思いが湧き上がる。
岩又岩としか言うより、崩れ石の寄り集まった集積所かと思われるぐらい、数十トンクラスの自然石が山の形状を作りあげているMt Baldey 。此処は以前、ボウイスカウトのキャンプであった地所で、家などを建てる空間があったが故の禅センターである。岩と山と空気ばかりのこの山中での臘八接心。果して務まることやら、との思いでのスタートであった。昔より、雲水命どりの大接心と言われている、一週間不眠不休の座禅行。不安を抱えてのいざ座禅事始め。 此所では五日間の行。

大体の日程は、朝3時起床。
坐禅
朝課(お勤め)
粥座(朝ご飯)
坐禅
提唱(講義)
坐禅
斎座(昼御飯)
坐禅
薬石(夕ご飯)
坐禅
開枕(就寝)9時
最終日は開枕が夜中の1時に及ぶ。最終日の明けの明星頃には、全員お悟を開いている筈で「呵呵大笑」の妙味が味わえる(?)。
ざっとこんな具合で、兎に角座る。
安心したのは、夜は寝れるということか?寝なくて座ったほうが良いのだけれど、寝ても構いませんよと言わんばかりのベッドを前にして6000フイートの寒空にこの身を晒すことは、無謀では無いか?と言う妥協心が、戦うことなく勇猛心を負かしてしまったのです。
就寝時間があることに心が逃げの体制に入ってしまった。体の衰えとともに、勇猛心も確実に衰えている。中日(なかび)に夜座に挑戦するも足腰が限界か?集中が続かない。敢え無く2時間ですごすごと退散。
老師は「坐れば、坐禅をすれば、必ず見えないものが見えるようになる。」と叱咤激励。
要は、「念ずれば 花開く」の世界との出逢いである。ただ座って居ればいいわけではない。ひたすら坐るのである。
五日間の坐禅三昧は確かに疲れた。体の節々がガタガタになった。しかしながら、MT Baldyの類を見ない空気の透明度が、毎夜毎夜の満天の星空が、神秘そのものの天の川が、それにも増して、心身の全てを賭けて座っている老若男女の意気込みに後押しされて臘八接心の軌道を走ることが出来た。
この接心は「惺あり」と行ったところか?無性に嬉しかった。「呵呵大笑」とまではいかなかったが、無性に嬉しかっったのである。一枚皮が剥がれた感あり。
見るものは見ているし、聴くものは聞いている。が、さして聞いているわけでもなく見ているわけでもない。坐禅をする効は、あ!花が咲いている、おや!風が吹いていると、爽やかに驚けることである。人に対しても同じように驚きがある。現実は何も変わっていないけれど自分を取り巻く全てにそれぞれ爽やかに対応して行ける自分の発見。
「人もし静座(止)数刻の後、人と接するに言語自 叙有るを覚ゆ。」佐藤一斎。
正しく禅を行じる喜びである。
「見れども見えず、聞けども聞けず」とう言うことは人の日常であるが、
「目で聴いて、耳で見るなら疑わじ、自ずからなる軒の玉水 」
まさしくそんな感じである。これが本物かどうかの点検が参禅。
夏目漱石も釈宗演に参禅するも散々だったそうな。苦い経験は同様だが、この度は、
則竹秀南老師、拳突の効果のお陰か?

収穫のZENセンターを後にニュウヨーク山中、大菩薩禅堂へ。5時間の飛行機と4時間のドライブ後、到着は夜中の1時。その朝は、五時半起床の強行軍。大菩薩禅堂の坊さまたちは親しく歓迎。朝課のあと暗闇の禅堂で厳粛感動の坐禅。いいもんですね。
馬のしっぽにぶら下がるようについて行った大菩薩禅堂の新住職お披露目セレモニーでは4日もお世話になって、その間、保寧和尚、保寧和尚と歯が浮くほどの歓迎ぶりで、何につけても、則竹老大師の高徳をに感じ入るばかり。
俺は金剛獅子で無くて馬か?と老師に茶化されました。
ニューヨークの町から三、四時間お伽の国にある様な可愛い湖の辺り、堂々の大菩薩禅堂。中国からやって来て日本で育った禅がアメリカに産ぶ声をあげて60年。禅はどの様に 根付いて育って行くのであろうか?
僅かの滞在ではあるが、先徳和尚方の心血を注いで来た血と汗の匂いが今だ生々しく伝わってくる様で、重い。がしかし、威儀正しく、定着した感のある若き西洋青年僧は頼もしい。寺を嗣ぐ為感のある日本僧とはどこか匂いが違う、と言うよりハッキリ違うと言うのが正直な感想。良い悪いの問題では無いがやがて答えも見えてくるであろう。
私は埼玉県加須市に住む保寧寺住職である。この寺を支えてくれる檀家(スポンサー)さんにもっともっと禅を行じる其の第一歩として、「座る楽しみ」をお伝えできなければ、なんの臨済禅の末裔であろうかと、深く深く懺悔した次第です。
この歳(七十三)なってなんでこんなにも遠いアメリカ、ニュヨークの山奥へ何を好んで坐禅をしに行くのか?「酔狂な坊主やなあ」とお思いの方々も多かろうと思います。
私自身もそう思いながらの臘八接心でした。お陰で背筋も伸びて、一センチぐらい伸びた様に感じます。
「お陰」という言葉の関連でおもしろいことがあった。今、保寧寺にネパールの娘が住んでいる。日本に来て三年になる。誰もが驚く程日本語が出来る。必要がそうさせるとも言うが、一緒に来た他のネパール娘はさっぱりであまり話せない。したがって、才能があるのだろう。いや、努力しているに違いない。留守中に何事もないかと連絡したらそのアニータが電話に出た。今日はIさん(お寺に出入りしている若い夫婦)に食事に連れてもらいました。と話すので、「良かったね」と言うと、「和尚さんのせいです」と言った。ここはお陰だろうと思いつつ電話を切った。日本に帰ったら徹底的に日本語をしごいてやろうと思っている。その代わり、英会話はアニータの方が上質なので、しごいて貰おうと思いながらの、ニューヨクの山の中。ちょっと思い出したので。
環境が変わると言うのも、身も心の方も両面効果のある様で、何か心に詰まる様なことでもあれば、一寸環境を変えて見る。そして座ってみる。
「そうだ!京都に行かずに保寧寺に行って、座ってみよう」は如何ですか?

この大菩薩禅堂の前にある湖に一軒の洒落た別荘風の家があって、「アンクル.トム」を書いた ハリエット、ビーチャ、ストウ が、夏のシーズンここに住んで、かの小説を書いたと言う歴史を物語る家も大菩薩禅堂の所有するところで、最初はこの家の二階を禅堂としての出発であった。二十畳、もっとあるか?の然し、なかなか味のある屋根裏部屋禅堂である。今の本堂に掛けてある50号の油絵は佐々木老師か中川宗演老師かはわからないけど、一人面壁端座する絵である。どこの禅堂かと思っていたが、此処であった。
則竹老師は2月には再度MT Baldyの接心(佐々木老師なき後、年三回接心の指導),3月にはドイツで坐禅接化の旅である。此所、大菩薩禅堂に集まったドイツの青年僧とスケジュールの打ち合わせのミーティングに一緒にいて、聴いているのだが、このお方は一体何者か?
「仏法の想い堪え難く」と花園天皇の御宸翰を地で行くが如く、若き西洋青年僧の熱意に答えんとするその姿は、「仏法の為なら何処で死んでもええ」という師弟間に啐啄同時を見る様で、意気地のない私はオロオロするばかり。ええい!畜生!とわめいて見ても後の祭り。
所謂禅定力の違いか。和歌山の偉聖、南方熊楠にも匹敵するかどうか、博覧強記の人。
一方、考え方を変えて見ると、西洋は心の領域でかなりの生き詰まりがあるのだなあとの思いもある。日本も同様生きずまって居るのだろうが、なんか、漠然とした不安の気づきに疎いようだ。世の東西を問わず、人類の未来の不安を普通の一般人が茶飲み話ついでに出る時代だ。自ら招いた様なこの地球不安定に因縁の法はどう答えるのか?因縁が勝手に因縁を変える訳も無かろうに。あまりに楽観のこの地球人。
そんな事を思いめぐらしていたら寝つきが悪くなって、トイレに行った。東洋系アメリカ人と思われる若い青年僧とトイレで出会った。挨拶はしなかったが、出口に座具が有った。夜座(就寝後に再度各自自分の意志で坐禅をする事)の帰りか?
時間を見ると夜中の一時に近かった。心の中で手を合わせた。
夜座に関してもう一つ。
ロサンゼルス マウント 、バルデイ 臘八接心でのこと。私が敢え無く夜座をgive upした次の日の開枕後、私の前に座っていた若い青年僧が皆んなが引いた坐禅堂に一人残っていた。私は寝てしまったので見たわけではないが、明らかに徹宵夜座をしたのでしょう?
次の朝、あれほど凛々と座っっていた座相が大きく傾いて首が前に大きく傾いている。しかし、体は、決してぐらつかない。驚いたのは、そんな睡魔と足の痛みにもかかわらず、組んだ方界定印(手の掌と掌をの見学は合わせて、両手の拇指を接して円相を作って座る坐禅の基本姿)は一度も崩れた事はなかった。この国の禅を組む人たちは全員、しっかりとした方界定印を結んでいる。
その姿は当たり前だが美しい。私が指導を受けた僧堂は作務僧堂で名を馳せた僧堂で坐禅が無ければ賃金を貰わぬニコヨン生活だと言い合っていた様な僧堂で、夜の坐禅は作務の疲れとどう戦って座るかが課題の毎日だった。解決の方法は、眼を剥いて座る、手はしっかりと握る。白隠和尚の様にといういささか我田引水的な座相で育った。眠気に強いという利点は在ったが肩が凝りやすい弱点もあった。そう納得し、それを行じていたので、件の青年僧の坐相と、法界定印を崩さないその姿に、ちょっとした凄味を感じた。やがて、この青年僧に良き了解が来らんことを。

今日はもう25日。10日近くアメリカに居る。どこにいったわけでも無く、二つの寺巡りといったところか?。雪もあるやもしれぬ。防寒着も万全。雨もあるかもと成田で傘も買った。さにあらず、。毎日毎日快晴に近い日々の連続で、特に此処、大菩薩禅堂は突き抜けるばかりの輝きで、早朝、坐禅を終えた頃の日差しは胸の奥まで貫く様な、やがて柔らかな日差しはホッとする1日の始まりを告げてくれるのだ。こんな毎日の陽射しの連続でも、薄っすらと張った湖の氷は容易に解けない。確実に冬に向かっている。湖面の氷に反射する光は白く痛い。
昨夕訪れたハリエット、ビーチャ、ストウの家から見た夕日は冬枯れの山肌のわずかに残る木々の葉を燃やしていたが、あれよあれよと言う間に闇が優って、空気の冷たさが頭からかぶさって、あっ、という間に全身を包む。
大菩薩禅堂も冬のシーズンは生活も叶わず、残留組を残して町に戻るそうだ。

今日は大菩薩禅堂のTransmission ceremony. 新住職、独楼和尚お披露目伝達式とでも言いましょうか。目出度い日です。
法のバトンタッチをなさる心華室老師は大菩薩禅堂開単住職、中川宗淵老師から島野老師を経て三代目となる。ゼロックス社の会長の遺言 で、その夫人から一枚の小切手がおくられてきたという。禅堂開単の由来。
嘘の様な本当の話。これぞまさしくのアメリカンドリーム。よくぞ此処までの継続と感慨ひとしお。心華室老師は凛としてしかも、尼僧にこんなこと言っては失礼かもしれないが、魅力のある可愛い老師様。この様なmemorial day に同席するなんて、半月前まで知らぬ事 。
此処3日何もしないで食べてばっかりで、腹の調子が悪い。動かないので食事が体に溜まるのか?出せばいいのに出ない。一寸無理してでも食べた方がいいのかもしれない。今夜もceremonyが終わってご馳走に違いない。食べてみようかな?難しい。

一同の見送りの中、ニューヨークに直行。「ご苦労さま」とでも言いたげな二匹の立派な鹿が、湖のほとりから車に近ずいて、そして山の斜面をしなやかに消えて行きました。
マンハッタンにある正法寺に投宿。日本人3人、アメリカ人2人、ドイツ人1人。本堂で雑魚寝。明日は、ニュウーヨーク見学、お昼は中国料理、夜はブロードウェイでミュージカル。
実現するかどうか?そんな夢を見ながらgood night

その夜は、マンハッタンの日本料理店で、なんと、島野栄道老師と食事をするお膳立てがあった。大菩薩禅堂開単、アメリカンドリーム実現、アメリカに行動禅の実践普及に尽くされた、言ってみれば、佐々木老師と並んで 禅仏教東漸の双璧のお一人である。
お逢いして開口一番、私が、保寧寺住職と知って、暫し、 絶句。
我が師、熊田応其和尚とは、平林僧堂で共に修行、尚且つ、アメリカに行って今日に至るこの道のルートを示してくれた人で、単身アメリカに行く雨の横浜港まで見送りに来てくれたその人だと言う。その因縁にまた絶句。そういえば何かの折に、熊田和尚は、ぽつりとそんな話をしてくれたのを、聴きながら思い出していた。不思議な時間だった。どういう事情かは知らないけれど、則竹老師の無為のご配慮に驚くばかり。事情があって今は大菩薩禅堂から身を引いておられるが、明日はまた、スイスに飛んで 禅布教の旅。86歳。しみじみ思った。いろんな人生があるもんだと。

ニュウーヨーク最終日前日、自由の女神見学。何度かニュウーヨークには来ているが、船に乗っての見学は初めてのこと。この日は曇って、強風でおっそろしく寒いからと案内のジェフさんは、ありったけの防寒具を袋に詰め込んで持って来てくださるが、ニュウーヨーク事情のわからぬ我々はそこまで着なくてもと、思いながらも忠告に従って冬眠状態のクマみたいな出で立ちでお出かけ。心配は、大外れで、日差しもあって、気温も下がらず、恐れていたほどのかぜも吹かず辛い思いはしなかった。夕飯はニュウヨークには幾つも有るトランプビルの前の一寸高級感の匂うレストランで。寒さに備えて着込んだ下着が暑さで気持ち悪くなったので、トイレでごぞごそごと着替えるのに手間取っていたら心配して探しにきてくれました。サッパリとして戻ったのですが、私は、食欲がなく、チーズとホワイト ワインを頼んだ。美味かった。ワインが。楽しい食事の後、メトロポリタン音楽堂でベームのレクレイムのご馳走を頂いて至極の時間満悦。

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