和尚のつぶやき

新春早々 ビックリ

正月、5日ぐらいの朝日新聞、Be版にスペイン巡礼の記事があった。二人の巡礼者の話である。どちらもスペイン人の巡礼者。仕事と恋愛に失敗した。もう一人は、やはり、仕事にトラブって鬱状態の中、巡礼を思いたったそうだ。

普通の巡礼者はサンチアゴに向かって西へ西へと向かうのだが、彼らは、サンチャゴから東に向かうのである。そんな訳で実に多くの巡礼者と出くわすこととなる。失意の真っ只中にもかかわらず、彼らは ゴミ箱から拾ったクマとトラの縫いぐるみを肩ぐるまして巡礼したのである。出遭う巡礼者を笑わしたいという思いからの閃めきである。行くところ敵なし。笑の連続であったそうな。出会った巡礼者の数は17,000人を下らなかったらしい。出会った巡礼者もさしたる意味もないかも知れないけれど、彼らと出会って、兎も角も、楽しい時間を共有することができたでしょう。当の仕掛け人の二人の巡礼者も、自らも楽しむとともに癒されていたのです。

彼ら、二人は、巡礼の終点を故郷のバルセロナに変更。なを、1,000キロ歩いたそうです。後、彼らはどうしたかは定かではありません、が、バルセロナに着いた頃には、嬉しいメイルやお便りが山のように届いていたそうです。

私も篠笛の音色で結構喜ばせたとの自負はあるけれど、その数は限定されておりました。二人の思い切った行動に祝福です。

スペイン サンチアゴ巡礼の第1日目、フランスとスペインの国境の私設アルベルゲ、オリソンでの事。

このアルベルゲでは、巡礼の第1日目の客がほとんどの為か、夕食の後、自己紹介が恒例となっている。大体が英語での紹介である。前々回の時には突然のことで、あたふたした記憶が残っていたので、今回はと思っていたものの結論は、以前を上回る自己紹介では無かった様に思う。三番目に自己紹介をしたのが、27〜8才かと思われる 日本人の女性で、恐ろしく堪能なる英語で喋ったのである。我々一行はと言えば、すっかり萎縮してしっまったものである。

彼女とはその後4〜5日ぐらいか、行きつ離れつの巡礼であったが、運悪く体調不具合でリタイヤの憂き目にあったそうな。道中、「富士山に二度も登って、大丈夫だと思っていたのに!巡礼をなめておりました。」とポツリ。何度か旅のことなど話し合ったり、道中、写真のレンズを借りたりして一緒に歩けるのを楽しんでいたのですが。

彼女は今、国際赤十字のスタッフで、南スーダンの過酷な現状の真っただ中で被害住民のケアーに明け暮れています。世界の人に、特に日本の恵まれている環境の人たちに南スーダンの現実と理解を力説しておりました。この二つの事柄の関係は一体何なの?と、問われるならば、お答えいたしましょう。
サンチアゴ巡礼絡みです。私を含めて、其々の巡礼を体験しています。
スペインの男性も南スーダンの彼女も最初で最後の巡礼かも知れませんが、きっと、その体験は只今の生きように関わっているに違いありません。彼女は巡礼中、国際赤十字職員の道は内定しており、もっともっと人のために役立ちたいと、熱っぽく語っておりました。この二つの記事がBe版の見開きの左右に並んで載っていたのです。ビックリです。失意の青年たちは笑いを伝えることで、救われてゆく自分たちを発見しました。南スーダンの彼女はきっと巡礼の挫折を出発点としてスーダンを生ききっているに違いありません。

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