和尚のつぶやき

又も恥じ入る。

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またも恥じ入る(和尚さんいい声ですねえ)

1944年生まれ、70歳となりました。平均寿命まではまだ少しあるけれど、よく生きてきたなあ〜 と言うのが偽りの無い実感である。22歳で得度したのだから48年の坊様生活となった。これもまた、よくもまあ〜というほかない。52歳で住職となりました。今までの 浪人坊主の自由気ままは一変、雲水生活が戻った様な忙しさです。その上に、葬式、法事が主たる生活基盤と成りました。この様な席でよくいわれます。
「和尚さんいい お声ですねえ 」、と。お経の声がである。
「有難う、で、他にはいいようはありませんか?」
「いいおこえですが?」
「私は 一生懸命ですが」と私。
「???」
「有難くなかったですか?」
「そりゃー有難っかたですが」
「其れを最初に言って欲しいね。」
冗談とも本音とも分からない様なこんな会話がよくあるのです。

乳癌の手術をした方が、「和尚さん、手術中に右の耳からも左の耳からもお経の声が聞こえて困りましたよ」と曰われた。
檀家さんのお経の認識はこの様に暗い。
お経の声が聞こえて勇気が出ました。とはいかないのだ
死者絡みのお経を、読まずに聴いてばっかりだから、真理の言葉のお経もさっぱり生きる力とならない。
僧俗共にこれで良しとしてきた節あり。
お坊さんはなんという大罪を犯してのうのうと生きていることか。
修行時代、新興宗教の指導者の、毎月10日間は世界の平和の為、祈りのお経と断食を行じているという話を感心しながら、老師(禅の指導者)にお伝えしたところ、それじゃ、貴公の毎朝のお経は一体なんなのだ!と、一喝され、血の気の引く思いを,今も事あるごとに思い出します。
妙心寺山内、霊雲院住職、則竹秀南老師は霊雲開山和尚遠忌の時、妙心寺法堂で白隠禅師座禅和讃を朗々と唱えられました。
臨済系坊主にとってこの和讃は般若心経同様、寝ぼけていても間違わない慣れきったお経ではありますが、その坐禅和讃のなんと感動的で有難かったお経かと、思い出すたび胸の震える思いです。
心が、信心が、お徳がお経に乗り移って他人の心に信心の心を目覚めさすのですね。
厳しい修行から修得された徳そのものを観て、己れの不徳を恥じるばかりでした。
この老師と終戦60年の年に中国(漢土)全土の名だたる臨済宗の名刹寺院で平和祈願法要の旅のお供に与かった時のことです。
中国と日本僧との合同法要厳修の時、真言、ダラニのお経は一緒に唱えることができることに気づきました。サンスクリットからの音訳だから当たり前といえば当たり前のことなのだが、いや、おどろきました。感動しました。嬉しかったのです。
言葉の通じない他国の僧侶が同じ響きで平和の為に祈ることが出来るのです。韓国、チベット、インドでも同様かと思います。瞑想の一助に使っている、ネパールの尼僧、アニチョン、ドルマさんのお経も同様の真言です。
ヨーロッパにも散在する禅道場でもローマ字に直して真言、ダラニを読んでいるのです。
世界の至る所で同じ響の平和の祈りが流れています。それを思うだけで感動ですね。
お経を読むというのはこのことです。一つになるのです。そうすれば、世界中に平和のハーモニーの輪(和)が広がります。
日本中には、檀家さんと言われる仏教徒が存在します。
この檀家さんが一日一度、般若心経を、ギャーテイ、ギャーテイと、唱えたらなんと大きな平和へのエネルギーが広まることでしょう。
この祈りこそ真理そのもの、唱うも舞うも法の声、なのです。
そういうお経が広まります様に。
歳だけを得て徳を得ない坊さんが、最近頻りに思う、つぶやき。

追記

ワールド ニュースを見ていたら、なんと、最近はロシアにも随分の仏教徒が居るそうで、南方仏教の衣のロシアの坊さまが盛大に儀式をおこなっておりました。ロシアからも平和の響きが届きます。

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